氷上郡天台宗寺院会報
(どうしん)
・・・第10号・・・


山寺説法 I
「来世を念う−如救頭燃」 常勝寺住職  宮 崎 實 順

◆墓のない村◆
 もう四、五年も前のことですが、日本列島に墓のない集落が二つあることを知りました(阿満利麿著『日本人はなぜ無宗教なのか』)。墓がないといっても、私たちが普通に考えているような墓がないということです。一つは沖縄の宮古島、もう一つは鳥取県青谷町の山根です。
 早速鳥取県へ行ってみました。山根は昔から和紙の里として知られてきたそうですが、外見それらしいものは見当たりません。戸数は百戸余りだそうで、田舎の集落としては大きいほうだと思います。

 浄土真宗本願寺派の願生寺はすぐに見当たりました。山門を入った右手に「南無阿弥陀仏」の名号石が建っています。その石の下が納骨の場所です。名号石の下に穴があって、遺骨を和紙に包んで入れていたそうです。穴の口には石の蓋がしてあるだけ。最近は穴が手狭になったとかで、少し広げて、蓋をコンクリートにしたり、名号石の周りに玉垣をしたりと改修されていました。荼毘に付した遺骨を壷に入れて持ち帰り、この穴に入れるのです。入れるときは壷から出して入れますから、他人の骨と一緒になります。名号石の前には花も立っていません。線香立てもありません。死者はみんな浄土へ行っているのです。

 普通の墓が全くないかというと近年はそうでもないようです。戦後、戦死者のお墓がないのは具合が悪いという事情があったり、集落を出た人、村の外の親戚がうるさい、石材店がセールスに来るというようなことがあって、集落世帯の約半数は個人の墓地を持っているようです。それでもそこへ納骨するのはほんの申し訳程度で、大半は寺の境内へ納骨するようです。
 昔からの習慣といってしまえばそれまでですが、阿弥陀さまがお浄土へお導き下さるという信仰がいきているとすれば、大変素晴らしいことです。『みんな仏さまの子』という信仰が根底にあるのかもしれません。夫婦でも別々のお墓が作られる時代に、これは正に『倶会一処』を地でゆく思いがいたします。

◆倶会一処(くえいっしょ)◆
 来世があるかどうか知る由もありませんが、あった方がよいと思いませんか。死ねば灰になってゴミと一緒というのでは少し淋しい。極楽浄土、天国、黄泉の国など、古来人々は来世を想定してきました。いずれにしても来世はあった方がよいと思います。お経に説かれているような豪華絢爛たる世界でなくても、ごく質素な世界であればいい。そこで先に逝った人たちと再会することができれば、こんなに楽しいことはありません。肉親や親しかった人たち、憎かった人とも仲直りができて、倶に一処で会うことが出来れば大変楽しいことだと思います。

 再会した時、誰に恥じることのない人生を送らねばなりません。来世を念えば、苦に満ちた娑婆でも安らかに生きられると思います。

 ※如救頭燃…まるで自分の頭上が燃えているのを消すぐらい切迫感をもってなすべきである。
 ※倶会一処…多くの善き人たちと共に同じところで会うことができる。


日本仏教の聖地 比叡山 A

 日本仏教の聖地、日本文化の故郷として古くから人々に親しまれてきた比叡山延暦寺。伝教大師最澄さまが山上に草庵を結んで以来、多くの名僧を生み出した霊峰は、開宗千二百年の今なお燦然ときらめいています。
 比叡山は大きく東塔、西塔、横川という三塔(三つの地域)に分けられ、これら地域の諸堂を総称して「延暦寺」といいます。前回の東塔に続き、今回は延暦寺の西塔の諸堂を紹介します。

◆杉木立の中に優雅なたたずまい  西 塔 地 域◆
 比叡山の表の顔とも言うべき東塔地域より北に一q、杉の木立に囲まれた閑静な西塔地域。いにしえよりの面影を色濃く残す釈迦堂を中心に優雅なたたずまいの諸堂が点在しています。また、一般の人が修行することの出来る居士林研修道場もあります。
 木々に羽を休める小鳥たちのさえずりに混じって、僧侶の読経が今日も響き渡ります。

◆釈迦堂◆
 西塔の中心をなすお堂で、正式には転法輪堂といいます。
 ご本尊は伝教大師自作の釈迦如来立像で、お堂の名前も由来します。老杉の木立と共に堂々とした風格があります。
 現在のお堂は、織田信長の焼討ち後、豊臣秀吉が大津の三井寺の弥勒堂(金堂)を移して手を加えたもので、天台建築様式の代表とされる比叡山最古の建物です。



◆にない堂◆
 「常行堂」と「法華堂」という同じ形の建物がふたつ並んで、渡り廊下でつながっています。法華経の教えと念仏(浄土)の教えが一体であるという比叡山の教えを表し、法華堂には普賢菩薩が、常行堂には阿弥陀如来がまつられています。比叡山の修行に四種三昧という行があり、その内の法華三昧を法華堂で、常行三昧を常行堂で行います。
 力持ちの弁慶がこの渡り廊下を天秤棒にして、お堂をかついだという伝説から「弁慶のにない堂」と呼ばれています。





◆椿 堂◆
 にない堂近くにある小さなお堂。昔、聖徳太子が比叡山に登られた時、杖として使用した椿の枝を差し置かれたところ、芽を吹いて育ったという因縁から、椿堂と呼ばれています。毎年開花時期には大小の椿が美しい花をつけます。本尊は千手観世音菩薩です。








◆相輪とう◆
  相輪とうとは、五重塔や多宝塔の屋上に立つ九輪の部分で、種類の多い塔の内で最もインドの原型に近い仏塔の一種です。
 釈迦堂北の山林の中にあり、高さ約十mの青銅製の相輪が金色に輝いています。明治二十八年に改修され、内部には法華経、大日経などが納められています。





◆居士林◆
 居士とは、仏教に深い信仰心を持つ在家の人のことです。つまり居士林とは、一般の方々が写経や坐禅止観のほか、食事や清掃などを通して僧侶の生活を体験し研修する道場です。






◆浄土院◆
 浄土院は、宗祖伝教大師の御廟であり、現在は十二年籠山行の道場でもあります。
 伝教大師は、比叡山で修行し、比叡山で学問するということを重視されました。修行を行う場所の清浄さと環境の大切さを説かれ、十二年の間、山上の結界から一歩も出ない籠山行を定められました。比叡山で最も厳しい行といわれています。
 浄土院に籠る僧を「侍真」といいます。侍真は、伝教大師が今も生きておられるが如くお仕えします。お膳を供え、大師を御廟からお迎えしてから拝殿でお勤めをします。普段、参拝者は浄土院の拝殿に入ることは出来ません。
 しかし、開宗千二百年慶讃大法会期間中、平成十七年四月から三年間、団体参拝に限り特別に午後一時から三時まで拝殿の扉が開かれ、外からですが伝教大師御真影を拝することが出来ます。

◆瑠璃堂◆
 釈迦堂から黒谷に下る途中にあり、信長の焼き討ちをのがれた唯一の建物です。本尊には薬師瑠璃光如来がまつられています。
 室町末期の建築様式を伝え、三間四方、正方形の入母屋造りで、比叡山では珍しく唐様を主とした建築です。







◆青龍寺◆
 西塔地区から一.五qほど離れた黒谷にあり、浄土宗を開かれた法然上人が修行した場所として有名です。現在は、京都の浄土宗総本山知恩院が管理を行っています。知恩院によって荒廃した宿坊が二階建ての道場に建て替えられて青少年などの教化施設として活用されています。本尊は阿弥陀如来です。





  
 
【夏の集いに31人参加】
 丹波市の天台宗寺院主催による青少年研修会、第十五回『夏の集い』が七月二十五・二十六日の日程で開催され、三十一人が参加。この研修会は、少年犯罪や心の荒廃が問題視されている現代、大自然の中で宗教的な体験をすることにより、子どもたちの情操教育に繋がればと始められたもの。
 第一会場の永祐寺では開講式や法話に続いて写経、第二会場の神池寺では坐禅止観のほか、レクリエーション、飯盒炊爨、キャンプファイヤー、ふれあいコンサート(協力=近ちゃんバンド)、手作り教室(協力=春日・上畑裕之さん)などを体験し、夏休みの良い思い出作りになったようです。


  
 
仏教行事の解説9
◆地鎮式◆

 地鎮式(地鎮祭)は、家などを建てる際、施主や工事関係者が、施工現場に立ち会って行う伝統的な行事です。
 日本では、古く西暦六九〇年、持統天皇の時代に行ったという記録が『日本書紀』に残っています。
 現在では、地鎮祭として神社に依頼する神道式が多いのではないでしょうか。
 しかし、最近の地鎮祭は、古式にのっとった仏教式で行うことが増えてきています。
 地鎮式の起源は、お釈迦さまが悟りを開かれた時、地天が地中より現われて魔を取り除き、諸天と共にその土地を守護したという故事に由来しています。
 今日行われている地鎮式では、まず沢山の仏さまをお招きすることから始まります。その仏さまたちと、昔から土地を治めている地天に様々なお供え物をし、その土地をお貸しいただく許しを請います。そしてこの土地が安全であるように諸天諸仏の守護をお願するというものです。
 つまり、家を建てて住むことを、その土地の地天にお願いし、住まいと家族を多くの仏さまの力で守っていただくように祈願する儀式だということです。
  新築、増改築の際には、菩提寺にご相談されては如何でしょうか。



  

  
【寺院散歩10】
◆妙高山  神池寺◆ 丹波市市島町多利2609-1 荒 樋 榮 晋 住職

 丹波比叡と呼ばれ、末寺二百を要したと伝わる神池寺の開基は、奈良時代の養老二年(七一八)にさかのぼる。法道仙人により開かれ、聖武天皇が勅願所と定めたほか、行基菩薩や慈覺大師の巡錫を得て寺勢は益々栄えた。さらに平重盛や征夷大将軍・大塔宮護良親王が来山した記録なども残る。
 残念なことに織田信長の丹波攻めで明智光秀の軍勢による兵火に遭遇。直ちに再興を果たし、徳川家綱などの庇護を受けて栄えるも、明治の廃仏毀釈や昭和四十年の台風で大打撃を受け
てしまった。しかし、今日に至る歴代住職の努力により寺観を復興し、千三百年の歴史を今日に伝えている。
 同寺は、二十六夜法要や野外活動の場としても有名。
  

         


身近な仏教用語6】

◆不思議◆
 仏教では、悟りの世界や境地を「不可思議界」、仏の智慧を「不可思議智」などといいます。
 手品を見て、「不思議やな!」と感嘆したり、奇妙な出来事にも「何とも不思議なことがあるもんだ」という表現をします。
 なぜだろう?、その原因や理由について見当がつかない状態のときに日常的に使われます。また「不可思議」「摩訶不思議」ともいいます。
 「思議する」というのは、あれやこれやと心の中で考えたり、思いはかったりすることです。「不思議」とは人間の日常的な考えや、言葉、概念では把握することができないことがらを表す言葉です。

    

 編集後記

「今の子どもは、何を考えているのかわからない」、「子どもの心が荒れている」といわれている昨今、「子どもたちに仏教的体験を通じて豊かな心を育てたい」という思いで始めた『夏の集い』が、今年で十五回目を迎えた。
 今回嬉しいことに、第三回目から三年間連続で参加してくれた兄、第四回目から四年間連続で参加してくれた弟、そんな二人が中心で活動している「近ちゃんバンド」が、キャンプファイヤーの「ふれあいコンサート」に出演してくれた。
 忙しい仕事や勉強の合間をぬって、施設の訪問や地域の催しに、音楽を通じて活動をする二人。
 確実に彼らの中には『夏の集い』の経験が生きている…。そんな気がした。