氷上郡天台宗寺院会報
(どうしん)
・・・第12号・・・


◆山寺説法◆12

「祖先を尊ぶ心」蓮華寺住職  速 水 亘 雄

  私たち日本人は、「祖先崇拝」を暮らしの中の大切な伝承儀礼として受け継いできました。先祖を尊ぶ意識は、家族が日々の生活の中で支え合い、今あることを先祖のお陰と実感することによって深められてきました。つまり、先祖や家族の絆を大切にするというのが「日本の家族」の姿です。 しかし今、この家族がおかしくなってきました。家族の崩壊です。核家族が当たり前の昨今。その「核」すら怪しくなってきたように思います。夫婦、親子という家族の単位自体の関係が希薄になり、「私生活主義」という言葉が生まれ、社会から「公共性」「共同性」が失われてきています。若者は結婚を避け「家族」を持とうとしません。要は家族の営みの放棄です。
 
 このような社会では、当然のごとく「ご先祖を尊ぶ心」は受け継がれません。「祖先崇拝」を失った日本は、家庭は、何を心の支えに生きていくのでしょうか。「生きている内が花、死んだら終わり」という考えが蔓延し、信じられるのは「お金」だけという恐い世の中になりました。
 
 私たちにとって「先祖」とは一体何でしょうか。両親をはじめ、祖父母、さらには曾祖父母というふうに、遡っていくと沢山のご先祖がおられます。その中のお一人でも縁がなければ、今の私はこの世に生きていません。今生きている私は、何と稀有な存在かとお分かりいただけると思います。 「先祖」という考え方は、我が国の民間信仰となって長く受け継がれてきました。亡くなった方は一定期間の仏道修行を経て仏となり、ご先祖になると考えられました。この期間を三十三年とし、死後三十三年でようやく先祖の仲間入りをするといわれています。ご先祖が「祖霊」となって家や家族、郷土を守り、やがて山や田の神として田畑を守り収穫をもたらすと考えられてきました。
 
 このご先祖や神々の加護によって「今の私がある」と感謝する気持ちを現したものが「法事」です。法事は「年忌」という形で勤める習慣があります。年忌法要は、お経を唱え、参拝者にご供養の「お斎(食事)」を出します。読経の功徳とご馳走する「布施行」を行うことによって、亡くなった方への追善回向となります。ご法事は、亡くなられた方を大事に偲び、家族が善根功徳を積み上げて、亡き人の極楽浄土を願い、優しい思いやりの心を手向ける大切な行事です。決して疎かにし、簡単に済ませてしまう行事ではありません。ご法事で大切なことは、真心を込めてお勤めすることです。たとえ家族や兄弟だけでもいい、丁寧に勤めましょう。塔婆だけで済ますことは避けましょう。ご法事は家族の絆を深めると共に、自分自身の「命」の根源を見つめるよい行事です。
 
 もう一度、家族とは、血縁とは、絆とは何かを見つめ直して下さい。日々ご先祖を大事にし、「今を生かされている」ことに報恩感謝すると共に、「祖先を尊ぶ心」を後世にしっかりと伝えて行って下さい。



◆天台宗が開かれて千二百年◆

 ◆未来に向けて新たな歩み
 天台宗は、今年の一月二十六日に開宗千二百年を迎えました。
 伝教大師最澄さまは、十九歳の時に「一隅を照らし、世の中を平和に導く僧侶を育てたい」との熱い思いで比叡山に登られました。その願いがようやく叶い、時の帝・桓武天皇から年分度者という「国家公認の僧侶を毎年得度させてもよろしい」という許可が下ったのが、延暦二十五(八〇六)年一月二十六日、伝教大師さま四十歳の時でした。つまり、天台宗が公認されて以来、千二百年のまさにその年が、平成十八(二〇〇六)年なのです。天台宗、そして日本仏教の母山・比叡山の礎がこの時に固められました。千二百年という歴史を刻んだ天台宗は、伝教大師さまのみ心を現代に生かし、未来に伝えていくための新しい祈りと実践の歩みを始めました。

 ◆あなたの中の仏に会いに
     〜皆様と比叡山へ〜

 伝教大師さまが比叡山を詠まれた歌に、次のようなものがあります。

 おのづから
  住めば持戒の
     この山は
  まことなるかな
     依身より依所

 伝教大師さまは、殊に山修山学(山で修行し山で学問する)を重視され、十二年間山に籠もって修行をする「十二年籠山行」の制度を定められたのです。
 日常生活の中で様々な刺激にさらされている我々の心は、我が身一つでコントロールすることは至難のことです。特別な環境、聖なる空間が、心に大きな力を与えます。
 現代人は今こそ「依所」、つまり心のより所となる場所を必要としています。家庭の中の仏壇、ご先祖さま、あるいは菩提寺のご本尊さまなどを大切にしたいものです。
 比叡山は千二百年の間、日本仏教の幾多の祖師方を育ててきた聖なるお山です。開宗千二百年のこの時に、是非皆で比叡山に参拝し、満山の仏、菩薩、祖師方の加護を受け、そして伝教大師さまの御廟・浄土院において、お大師さまの御心に触れて、あなたの中の仏に会う「依所」としていただきたいと思います。

 また伝教大師さまは、千
二百年前に既にこのようなお言葉を残されています。

  今已に時を知る
  誰か山に
  登らざらんや

 つまり、人々が何かを求めようと思い悩んだ時、すべての人が一様に比叡山に登ることを願うであろうと。丹波市の天台宗寺院では、五月十九日に比叡山への団体参拝を実施します。この記念すべき年に、伝教大師さまの御心を肌で感じていただきたいと考えております。


  
 
◆トピックス◆

 @神池寺の住職が宗議会の議員に

 天台宗の立法機関である天台宗宗議会(定員三十・兵庫一・任期四年)の議員選挙が四月に行われ、兵庫教区の代表として、これまで第六部(丹波地域)の主事を務めておられた神池寺住職の荒樋榮晋師が当選されました。
 第六部から宗議会議員の輩出は初めてで、同師の活躍が期待されます。

 A白毫寺住職を後任の主事に選出
 現職の主事であった神池寺住職が天台宗の宗議会議員選挙にに出馬されたことに伴い、四月に行われた補欠選挙で、これまで副主事を務めておられた白毫寺住職の荒樋勝善師が選出されました。
 また、副主事には常樂寺住職の板倉宥海師が任命されました。主事・副主事の任期は平成十九年九月まで。

 B新檀信徒会長に白毫寺の木下氏◆
 第六部檀信徒会役員の任期満了に伴い、会長であった正福寺の福岳登美雄氏が退任。四月十九日の総会において、新会長として白毫寺の木下敏郎氏が選出されました。また、副会長として歌道寺の山本正一氏、監事として永祐寺の吉住公一氏にご就任いただきました。

 ◆会の発展に努力  第六部檀信徒会長・木 下 敏 郎
 万人の心を和ませてくれた桜も終わり、新緑萌ゆる好季節となって参りました。檀信徒の皆様には、ご機嫌麗しくお過ごしのこととご拝察申し上げご同慶に存じます。平素は、菩提寺の繁栄のため格別のご尽力を賜っておりますこと感謝申し上げます。
 さて、私事ではございますが、先般開催されました十八年度の第六部檀信徒総会において、役員改選の結果、はからずも会長の要職を拝受することとなりました。元より浅学非才の身、その器でないことを自覚しているところでありますが断りが通らず困惑している次第であります。
 ご寺院様はじめ檀信徒の皆様方にご指導とご鞭撻を賜りながら、当会の発展のため駄馬に鞭打って努めさせていただきますので、どうかよろしくお願い申し上げます。


 C濟納寺の副住職めでたくご成婚
 市島町上田にある濟納寺の副住職で、全国の天台宗寺院を統括する天台宗務庁にお勤めの高見昌良さんが、去る三月十一日にめでたくご成婚されました。
藤川菜穂子さん。お二人は お相手は、滋賀県出身の共通の友人を通じて知り合われたとのこと。挙式は、神池寺住職夫妻ご媒酌のもと、白毫寺名誉住職の戒師により執り行われました。
 僧侶として、また寺庭婦人として、お二人のご活躍を期待したいと思います。

  
 
◆仏教行事の解説11◆
 

  大般若経転読会


 天台宗や真言宗・禅宗では、「大般若経転読会」という法要を行う寺があります。
 大般若経は、正しくは「大般若波羅蜜多経」といい、最近テレビで放映された西遊記で有名な玄奘三蔵法師が、十七年もの間、色々な身の危険と困難を克服しながら、遥かインドからシルクロードを経て中国に伝えられたお経です。
 玄奘法師は無事に唐に帰り着いてから、四年の歳月をかけてお経の翻訳にあたりました。その最初のお経が「大般若波羅蜜多経」六百巻です。

 この大般若経を書写し読誦して教えの如くに修行する者は、このお経を守護する般若十六善神によって守られて、除災招福の功徳を受けると、古来から説かれています。それ故に、わが国においても文武天皇の大宝三年(七〇三)三月に初めて勅命で大般若経の講読が宮中で行われ、国家安穏が祈願されたと続日本記に記されています。

 奈良時代の頃は何日もかけて最初から最後まで読んでいましたが、次第に略式化され、経典を空中に翻す転読とい方法で読むようになりました。この方法により、お経の功徳が転読の風に乗って拡がり、百難を退け万福を生じるといわれます。 丹波市の多くの天台宗寺院でも行っております。是非ご家族お揃いでお参りいただき、皆様の息災無事をお祈り下さい。

  

  
【寺院散歩11】
 ◆妙源山  觀音寺◆  丹波市氷上町南油良129 荒 樋 秀 晃 住職

 当寺は、法道仙人により養老元年(七一七)に開基され、慶長年間に地元の城主・別所豊後守吉治の守護寺となった。本尊の聖観音菩薩を祀る観音堂のほか、妙見堂や弁天堂などがある

 天保九年に亡った十世の珍純法印は傑出した僧で、神通力をもって奇瑞をおこし、多くの信奉を集めたという逸話は、今もなお語り継がれている。また近年では、太平洋戦時中に縁あって当寺に寓居していた“老らくの恋”で知られる歌人の川田順が、愛人鈴鹿俊子と共に世俗を離れて過ごしたロマンの地でもある。歌人武将源頼政と侍従の局の恋を描いた「款冬坊の記」は、ここでの生活をテーマにしたといい、静寂の中に歴史とロマンが漂っている。





身近な仏教用語8】


 ◆律 儀 (りちぎ)◆
 一般には義理堅くて真面目な人、またそれによって融通のきかない人を「律儀な人」といいます。これは仏教語の「律儀=りつぎ」から転じたもので、悪い行いをしないように心身を抑制すること、また、そのために仏教徒として守るべき戒め(戒律)のことをいいます。
 
  この戒律の基本的なものに「殺さない、盗まない、男女の関係を誤らない、嘘をつかない、誤った見方をしない」の五つがありますが、単に道徳としてだけでなく、信仰として身につけて頂きたいものです。
  たとえ融通がきかないと言われようとも、仏さまの教えには律儀でありたいものです。

    

 編集後記
比叡山が開かれて千二百年目、現代の道具や重機の無かった時代に、どうやって険しい山を切り開き、どのように諸堂を造営していったのだろうか。我が宗祖伝教大師最澄さまの開宗への思いのたけが窺える。「仏教の神髄を伝えたい…」、その純粋なまでの一心の思いであればこその偉業であろう。われら宗徒は開宗の意義を今一度見つめなおし、心新たにする時期に来ている。
 幸いにも五月十九日は部内揃っての比叡山団体参拝団が組まれている。この機会に多くの方の参拝があることを。そして日本仏教の母山、比叡山の歴史とその霊気を全身で感じ取れれば、この日は意義深い一日となるのではなかろうか。