氷上郡天台宗寺院会報
(どうしん)
・・・第7号・・・



 【彼岸と心の洗濯】
 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言われる言葉であります。暑い暑いと言っていた夏もようやく去って、凌ぎよい秋日和が続く一年で一番気候が良いと言うのは、彼岸を迎えるこの頃ではないでしょうか。
 お彼岸については昨年の秋彼岸号にも掲載しておりますが、この彼岸という字は「彼の岸」と書きます。彼の岸というのは「悟りの世界」で、こちらの岸は此岸と言い、「迷いの世界」です。丁度、川にたとえますと、川のこちら側は私たち、煩悩具足の世界。川を渡って向こう側、彼岸が仏の悟りの世界です。
 
私たちが仏の教えを信じて、この迷いの岸から悟りの世界である向こう岸に渡ることを望んでいても、つい煩悩という強い水流に押し流されて、この迷いの岸から抜け出せずにいるのが現実ではないかと思います。
 さて、お彼岸には全国各地でそれぞれ家族連れでお墓参りをし、どこの墓地もお線香が絶えません。しかし、お彼岸は「お墓参りをすること」の方が強く出過ぎ、一番大切な「心の洗濯」の方を忘れがちになっているのではないでしょうか。




[心に彼岸を]
 
彼岸について色々考えますと、私たちには数限りない先祖があります。
十代遡りますと、ご先祖の数は二千四十六人に広がります。私たちの命の中には、こんなに数多くのご先祖の命が生きて流れて働いていて下さっているのです。決して自分だけで生きているのではない、生きさせていただいているのです。

 私たちはご先祖なしにこの世の中に生まれて来なかった訳です。このように、無限の遠い昔からご先祖の命をいただいてこの世に生まれたのですから、私たちはそれを行いに表さなければいけないのです。お墓参りも一つの大切な表れですが、私たちがご先祖さまに対してしなければならない一番大事なものは何かということを考えなければいけないと思います。

 私たちは、迷いの心を持って生まれて来ております。しかし、心の底には彼岸に到達する仏になる芽があると言います。私たちの心の底にある仏性の芽を出し、花を咲かせるために、また育てるために一歩でも彼岸に近づいて行くんだという気持ちを持つことがご先祖への供養でもあり、何よりのご恩返しになるのではないでしょうか。

 めまぐるしい現代の生活にあればある程、ご先祖の残されたお彼岸の行事を通して自己を見つめ直し、心や身体のたたずまいを修正しながら、自分自身の心に彼岸を持つというところに彼岸を迎えた意味があるのではないかと思います。

 お彼岸は、こういう気持ちでご先祖さまをお祀り致しましょう。




  

 【台風お見舞い】
 
氷上郡を連続して襲った台風16・18号は、家屋や耕作物等に多大な被害をもたらしました。被災の寺院・檀信徒の皆様方に謹んでお見舞い申し上げます。
第六部主事 荒樋榮晋
檀信徒会長 福岳登美雄


  
 
【夏の集いに青少年34名】
 
氷上郡内の天台宗寺院では、七月二十六日から二十七日の日程で、小学三年生から六年生を対象に青少年研修『夏の集い』を開催した。今年で第十四回を迎えたこの研修には、郡内各地より三十四名の子供たちが集まり、一泊二日の研修に取り組んだ。 

[写経・座禅やそば打ち体験]
 
今年の「夏の集い」は、第一会場である市島町の白毫寺(荒樋勝善住職)から始まった。各地より集まった子どもたちは、まず班ごとに別れて順に自己紹介。中には一年ぶりに再会の友達もいて、全員が打ち解け合うには時間を要さなかった。

 開講式では、みんなで般若心経を唱えて研修の無事を祈り、続いて住職からの法話があった。
 次に修行の一つである写経を体験。慣れない筆ペンを使ってではあったが、一字一字丁寧に書いていた。

 また白毫寺横の広場では、汗いっぱいになりながらレクリエーションのグラウンド・ゴルフに興じ、境内中に子どもたちの笑い声が響き渡った。

 冷たい飲み物で一息をついた後、第二会場の神池寺(荒樋榮晋住職)に移動し、飯ごう炊飯に取り掛かる。悪戦苦闘しながら柴や薪を使って炊き上げ、ご飯が食べられる有り難さを体験。親への感謝、自然への感謝の気持ちを新たにしていた。

 夜のキャンプファィヤーでは、ボランティアで来て下さった氷上町の八尾裕子さんが歌やゲームを交えた楽しい演出をしていただき、子供たちの歓声はいつまでも山々にこだました。

 二日目は「エルムいちじま」へ場所を移し、そば打ちを体験。係員の指導のもと、粉を練って麺棒で伸ばし、そばに仕上げるまでを一人ひとり行った。仕上がったそばはまとめて茹で上げられ、細太や長短様々な麺ではあったが、おいしそうに食べていた。

▼ 今回、三回以上参加の六年生が十名おり、この子供たちに閉講式で皆勤賞を授与。参加者全員には、修了証が手渡された。
 尚、今回は看護師の小島章さんが子どもたちの健康管理にボランティア協力いただいた。

  
 
  仏教行事の解説 ―6― お盆と施餓鬼会

 お盆の行事は、東京などでは七月に行われ、その他の多くの地域では八月に行われます。いずれも十三日から十六日までの四日間で、先祖の霊を各家にお迎えして、その冥福を祈る行事です。▼ お盆は正式には「盂蘭盆会」といいます。古いインドの言葉に「逆さに吊された苦しみ」という意味の「ウラバンナ」という言葉がありますが、盂蘭盆会とは、そのような苦しみから救うための供養ということです。

 盂蘭盆会の由来については「仏説盂蘭盆経」というお経に説かれています。お釈迦さまの十大弟子の一人である目蓮さまが、お釈迦さまの教えに従って供養することにより、亡くなった母親の苦しみを救ったことに由来します。自分の命を授けて下さった先祖を尊び、命の有り難さを見つめる行事がお盆です。お盆の前後にお寺では施餓鬼会を行います。施餓鬼とは餓鬼や無縁の霊に飲食を施すことで、そのための法会が施餓鬼会です。お盆の時期に行うことが多いのですが、本来は特定の日が定められている訳ではありません。

 施餓鬼会の由来は、お釈迦さまの十大弟子の一人である阿難さまが、餓鬼に「お前は三日間以内に死ぬ」と言われたとき、お釈迦さまの教えに従い施餓鬼棚に山海の飲食をお供えし、餓鬼の供養をしたことによって長寿を得たという故事に由来しています。

 施餓鬼会は、餓鬼道に堕ちて苦しんでいる霊を救うために、食物を施して供養する法要です。私たちは、自分たちが食べるために多くの動物や植物の命を奪っています。自分たちさえ幸福であれば良いというような餓鬼の心を反省し、生き物の命を尊重し、みんなが平等に幸福になれることを願う行事です。

 仏教には、六道(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)という考えがあります。六道の中の地獄・餓鬼・畜生の世界を三悪道と呼び、三つの悪世界とされます。
 そういう悪世界に堕ちてしまったかもしれない霊を何とか救ってあげたい、死後も幸福であってほしいと願う心が様々なお盆の行事であり、施餓鬼会の目的です。

 


  

  山寺説法 山寺説法F 【一蓮托生】  天台宗布教師 高 見 智 秀

 一蓮托生…、あまりいい意味では用いられず、「こうなりゃ一蓮托生や。なるようになれ!」といった具合にヤケクソに一同揃って運を天にまかせる時に使うことの方が多い。

 しかし、語源を考えると、阿弥陀如来の極楽浄土に生まれ変わることを「往生」というが、これがどこから生まれるかというと、蓮の花から〜という意味です。
 
 広義に考えると、私たちの日々の暮らしは家庭・隣保・集落・町…と、その規模によって人と人の接するフィールドが大きくなる。
 
 アマガエル一匹が乗ると沈む蓮もあれば、多くの人が乗っても沈まない蓮もある。その蓮の大きさによって、重みに耐える限界があります。
 
 池に浮く蓮の葉一つひとつに一人でも多くの人が乗って沈むことのない様に、つまり心豊かに幸せに生きるためには、お互いのバランスを取ること、お互いの気遣い、心配りの積み重ねが大切なのではないでしょうか。
  
 一つの言葉でけんかして、一つの言葉で仲直り、一つの言葉にお辞儀して、一つの言葉に泣かされた、一つの言葉はそれぞれに、一つの心を持っているのです。



  





 我が家は天台宗 第7話 比叡山入山の決意

 
「悠々たる三界は純ら苦にして安きことなく、擾々たる四生(註1)はただ患いにして楽しからず」。最澄さまの『願文』の冒頭に述べられているのがこの文章です。▼ 衆生(全ての人間)が生死流転を繰り返すこの世は苦しみの世界で、また、人間ばかりか、生きとし生けるものすべてが安楽なものではなく、苦しみから免れることはできない…、という内容です。
 
 東大寺で受戒されてわずか三カ月後、突如として比叡山に入山し修行をはじめられました。『願文』とは、僧俗を含めた南都仏教の実情に疑問を抱いた十八歳の青年僧・最澄さまが、出世コースを自ら断ち、過去に対して痛切な自己反省をして、自己の純粋な理想と宗教心を訴え、自らを律する強固な決意を綴られたものなのです。
 
 一切が、みな「苦」であるからこそ、その苦しみから脱却を目指して仏道に精進しようというのが、最澄さまの決意でした。
 
 註1…四生とは生物を四種類に分ける仏教の考え方で、胎生・卵生・湿生・化生をいう。天台宗が公認                                    
    

  

 寺院さんぽ ―F― 巌高山  桃源寺 
              
氷上郡春日町小多利628 
                  荒樋榮晋 兼務住職

 丹波小富士山の山麓にある当寺は、元禄元年の創立である。境内には薬師堂・庚申堂・日限地蔵堂、それに比叡山開創千二百年慶讃事業として建立された水子観音像が安置されている。



 特に日限地蔵尊(別名北向地蔵尊)は、三丹随一の地蔵尊で、数々の霊験によって知られている。近郊は言うまでもなく、京阪神各地より病気・出産、また色々なお願いに日を限って願を掛ける人、願がかなってお礼参りをする人の参詣が多い。最近では進学・就職等の合格祈願をする若者の姿が目立ち、日を決めて詣でることにより、今もあらたかなご利益を受けておられる。



   

 身近な仏教用語 B  【ありがとう】

 
ありがとう…、私達が普段何げなく使っているお礼の言葉です。
 この語源は「在り難し」という仏教語です。『法句経』というお経の中に「人の生を受くるは難く、死すべきものの、生命あるも在り難し」とあります。人と生まれた生命の驚きを教える教説です。

 
すなわち「在り難し」とは、仏さまの教えを聞き、人の生命の尊さに目覚めた大いなる感動を表す言葉なのです。それがいつしか、感謝の意に転用されるようになったのです。先人のこのような宗教的心情を思う時、日本語の中でも、特に優れた美しい言葉であると思います。


   

 お知らせとお願い

【天台宗全国一斉托鉢を実施します】
 天台宗では毎年12月1日を「全国一斉托鉢の日」と定め、地球救援募金活動の一環として「地球へ慈愛(あい)の灯を!」をスローガンに、托鉢運動を展開しております。氷上郡では、来る12月4日に春日町・常樂寺の檀家様を中心に実施を致します。他の寺院の檀家様も募金に是非共ご協力をお願い申し上げます。


【開宗1200年の比叡山へ 檀信徒総登山に参加しましょう】
 天台宗では、開宗1200年を迎えて檀信徒総登山を奨励しています。伝教大師最澄さまは今から1200年前、比叡山に分け入り天台宗を開かれました。その教えはすべての人々が平和で幸せに暮らせる生き方です。比叡山へ参拝し、その教えを再認識して下さい。
 氷上郡内でも参拝団を組む予定です。期日や費用など詳細が決まりましたら、各寺院よりご案内申し上げます。是非共ご参加下さい。


   

 編集後記
  先月、天台大師智が悟りを開かれた中国浙江省天台山へ参拝してきました。皆様の菩提寺で、また家庭の中で、いつも近くにあった天台の教えの故郷を訪れる事ができ、とても新鮮でした。
 中国の人々が仏様に向かって手を合わせる姿と私達のそれとは何の違いもありません、皆一様に安らぎに満ちていました。歴史も文化も違う二つの国の人々が同じ教えのもとでつながっていることを再認識させていただきました。
 天台の教えが中国から日本に伝わり千二百年目を迎えます。来年予定の「檀信徒総登山」に是非ご参加いただき、天台の教えと歴史に触れてみて下さい。