『願文(がんもん)』を読む


第1話 「世の無常」


 19歳の青年僧「最澄」、奈良の東大寺で具足戒を受け正式の僧侶の資格を得ると、生まれ故郷の近江に戻り、自らの理想とする仏教を実践する場を求め霊峰比叡山に入山しました。その入山の意図・誓願を記したものが『願文』(がんもん)です。

 その後、最澄上人は終生比叡山を拠点に宗教活動を展開され、奈良の都から独立した大乗戒壇院の設立認可に命を捧げられます。

 平安遷都により比叡山仏教は、鎮護国家の道場として国家仏教としての色を濃くしていきますが、この『願文』には、若干19歳の最澄上人の純粋で情熱的な志が述べられています。

 最澄上人の志を受け継いだお弟子さん達の努力により、比叡山延暦寺は学問と修行の山として発展していきます。後に鎌倉新仏教と言われる多くの宗派のお祖師さんが、最澄上人の志に触れ比叡山の僧として修行され、各々の信ずる所により一宗一派を開かれました。また、比叡山は多くの美術、芸術、文化、文学の母体としてその存在感を示しています。

 そのような比叡山仏教の原点に位置するのが『願文』なのです。

 最澄上人が『願文』を示されてより1200年以上が経過した21世紀の今日。さまざまな考え方、生き方が錯綜する中で、ともすれば私たちは自分を見失いがちです。そのような時代に『願文』は何を語りかけ、何を指針として教示しているのでしょうか。身の周りのことと照らし合わせながら読み進んでいきたいと思います。