108の鐘

 馬堀法眼善孝画伯揮毫(延暦寺大講堂に安置されています)

釈迦牟尼如来(仏教の教主で仏陀・釈尊・世尊ともいう)

 古代北インド マガタ国のカピラ城に王子として誕生。幼少の頃から人生と世間の諸現象に疑問を持ち、殊に人間をはじめ一切の動物に至るまでが互いに争うさまや生老病死の四つの苦しみを見て人類の救済を願い、一大決心をして王城を出て山中にこもられた。

 いろいろな修行道場に師を求めたが何一つ満足を得ることが出来ず単身、尼蓮禅河(にれんぜんが)の畔りの苦行林で断食や不眠の難行六年間にわたって行った。しかし、ただ心身とも痩せおとろえるのみであった。

 そこで王子は苦行そのものが必ずしも悟りの道に入るてだてでないことをしり、沐浴(もくよく)して心身をきよめ、村娘スジャータの捧げる乳粥の供養を受け、あらためて菩提樹の下に座り、鋭い心眼をもって森羅万象(しんらばんしょう)を観察し、遂に宇宙の大真理を見極め、あらゆる心のわだかまりから脱して悟りを開かれ、仏陀(ブッダ=悟りの境地に入った人の意)になられた。

 時に35歳、人類恒久の師となり、以来45年間、西に東に、また北に南にと、在る時は自ら、在る時は請われた歩を運び教えを布(ひろ)められた。
 
 紀元前478年2月15日クシナガラ城外のサラソー樹の時ならぬ白花に包まれ、多くの弟子達に遺誠して入滅(にゅうめつ=釈迦の入滅を涅槃という)された。御年80歳であった。


 十大弟子との対話(仏教Q&A)

十大弟子
1、阿那律尊者(あなりつそんじゃ=アニルッダ)

 仏陀の従弟(いとこ)、或る時仏陀のお説教を聞いている最中に居眠りをし大変叱られ、「今後、仏陀の前では絶対に眠らない」ことを誓い厳しい修行を行ったが、目を痛め、ついに失明してしまった。しかし、このことが縁となって更に修行を重ねて天眼神通力を得て常に千の世界を見たという。
 
 仏陀の十大弟子には、それぞれ第一といわれる勝れた面をもっておられるが、天眼第一の尊称がある。