常勝寺や仏教に関するQ&Aのページです |
釈尊と十大弟子の対話
●仏陀 | |
阿那律 |
日本では死者のことを『ほとけ』とか『ほとけさま』といった呼び方をしているようですが、世尊のことを『ほとけ』と呼ぶ場合と同じなのでしょうか。 それに、ほとけといってもいろいろなお方がおられるようですが、そもそも『ほとけ』とはいったいどんな意味なのでしょうか。 |
世 尊 |
『仏教』といった場合、とうぜんのことながら、『仏の説いた教え』ということになり、その場合の『仏』というのは、釈迦牟尼仏、すなわち、わたしを指すわけだが、『仏』そのものは、決して固有名詞ではないのだから、上に特定の名前がつかない限り、一般名詞ということになる。 |
阿那律 | そうすると、『仏』とはどういう意味で、なぜ世尊のことをそのようにお呼びするようになったのでしょうか。 |
世 尊 | 『仏』とは、サンスクリット語(古代インドの言葉)の『ブッタ』を漢字に音写した『仏陀』の省略語で、この世の真理に正しく目覚めた者、すなわち『正覚者(しょうかくしゃ)』といった意味なのだよ。 したがって、そのような境地に到達した者なら、だれだって『仏陀』または『仏』と呼んでよいことになる。ちなみに、仏教といういう宗教においては、最初にこの境地に到達したのがわたし、ということになっており、釈迦族出身の聖者、という意味から、『釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)』と呼ばれるようになったのだ。 |
阿那律 | そうしますと、世尊のことをゴータマ・ブッダともよぶのは、ゴータマ・シッダールタという成道(じょうどう)前のお名前からきたものですね。 |
世 尊 | その通りだよ。ところで、後代になって大乗仏教(だいじょうぶっきょう)と呼ばれる流れが興起(こうき)してくると、わたし以外のさまざまな仏陀が説かれるようになってくる。 |
阿那律 | たとえば、阿弥陀仏(あみだぶつ)・大日如来(だいにちにょらい)・薬師如来(やくしにょらい)、といった仏のことだと思いますが、これらの仏たちも、世尊と同じように、歴史上の人物で、正覚者(しょうかくしゃ)となられた方がたなのでしょうか。 |
世 尊 | むずかしいことを聞いてきたな。実は、世界中の仏教徒が例外なく認めているの仏とは私一人だけであり、たとえば、上座(じょうざ)仏教と呼ばれる南方系の仏教国においては、私以外の仏は絶対に安置もしていないし拝んでもいないのだが、前にも話したように、大乗仏教の国々においては、いろんな仏を安置して拝んでいる。 しかも、それらの仏たちも、過去のある時期に、修行した結果仏となった、と説かれているわけだから、たとえそれがどんなに昔であろうとも、歴史上の人物ということになる。けれども、これらの仏たちは、私と同じレベルでの歴史上の人物というわけではないのだから、仏教思想(=教義きょうぎ)の人格化、とでもいってよいのではないかな。 |
阿那律 | それでは、なぜ死ん人のことを『ほとけ』と呼ぶようになったのしょうか。 |
世 尊 |
もともとの仏教においては、修行の結果、悟りを開いて仏陀の境地に到達できるのはこの世である、と説いてきたのだが、現実の問題としては、なかなか一生の間で悟りを開くのが至難の業(わざ)であることに気が付いて、やがて、修行を繰りかえして、いつの日か仏に成るという考え方が生まれてきたのだ。 ところが、大乗仏教となると、平凡な人間が仏に成ることはほとんど不可能であり、したがって、絶対なる仏の救済力(きゅうさいりょく)によってのみ仏に成れるのだ、という教えが説かれるようになった。 そして、その時期が、絶対なる仏である阿弥陀仏の国土、すなわち、西方極楽浄土に生まれた後、ということになったために、生きている間に仏に成れなかった者が、極楽世界で、阿弥陀仏の本願(ほんがん)と呼ばれる誓いの力によって仏に成れる、と信じるようになったのだよ。 しかも、この考え方が、日本の社会においてはきわめて大きな影響を与え続けてきたために、やが て死者のことを『ほとけ』と呼ぶようになったと考えられる。 |
阿那律 | こういった考え方は、大乗仏教の中でも、浄土教と呼ばれる流れの中で生まれてきたものだと思いますが、日本人が死者のことを『ほとけ』と呼ぶ場合、必ずしもこの流れの信者だけだとはいえないような気がするのですが。 |
世 尊 | 恐らく、単に死者の代名詞として用いているだけではないかな。 |
阿那律 | そういたしますと、日本で盛んに行われているお盆とか彼岸とかいった行事の際に、多くの人々がお墓参りをしているのは、死者イコール仏さま、と考えているからなのでしょうか。 |
世 尊 | はたしてそうであると言い切ることも出来ないようだ。 なぜなら、日本人はきわめて先祖を大切にする民族で、亡くなった先祖を供養する、といった意味から墓参りをしているだけで、あの世で仏に成っている、といった意識はあまり強く抱いていないように感じられるからね。 |
阿那律 | ありがとうございました。 |
zzz | 『仏教読本 釈尊と十大弟子の対話』(仏教伝道協会)より |
Q | 常勝寺は何宗ですか? |
A | 天台宗です。本山は比叡山延暦寺です。 |
Q | 天台宗とはどんな宗派ですか? | ||||||||||
A | 一言で言えば、天台大師の法華経解釈に基づいて、伝教大師に依って開かれた宗派です。 簡単に表にまとめてみました。
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Q | 天台宗のお寺のご本尊さんは? |
A | 天台宗のお寺のご本尊は、阿弥陀如来、薬師如来、観世音菩薩、地蔵菩薩、不動明王など色々です。それらのご本尊さんは、宇宙そのもの、自然そのもの仏さんが、人々の願いに応じて姿を色々と変えて、私たちの前に現れておられるのです。ですから、これらすべての仏、菩薩を敬信します。 |
Q | 仏像って何ですか? |
A | 仏像は、仏教の“智恵”と“慈悲”という形で表しにくい教えを、わかりやすいように人間の形に表したものです。 仏像は、この世の中を正しく見る智恵と、他人の喜びや悲しみを自分のこととして共感出来る慈悲の心を私たちに教えてくれているのです。 ですから、仏教は偶像崇拝ではありません。 |
Q | 天台宗の教えはどのよなものですか? |
A | この世のいろいろなことがらは、すべてうつりゆく仮の相(すがた)であるが、それは、そのままに仏のいのち、すがたである。私たちは皆仏の子として、仏と同じ性質(仏性)を生まれながらそなえているので、人々がこの理(ことわり)にめざめて、仏の道にいそしみはげむように説き導くのが、天台宗の教えです。 |
Q | 天台宗はどんなお経を読むのですか? |
A | 俗に“朝題目、夕念仏(あさだいもく、ゆうねんぶつ)”とも称されように、朝に法華経を読むかとおもえば、夕方には阿弥陀経を読み念仏を唱えます。もちろん般若心経も読みますし、真言も唱えます。 天台宗の根本経典は法華経です。そして、その法華経に説かれている諸法実相(全てのものは、みな仏そのもののあらわれである)の立場に立って、あらゆる大乗経典を敬い読誦します。 |
さらにつづきます。乞うご期待!